生乾きと焼餅

どの口が何言うかが肝心

2019年のM-1と高橋維新

2018年にこのブログを始めて、特にPVを意識することはないんですが、ある時突然PV数が跳ね上がることがあります。

 

読んだ本の感想を書くと、たまにツイッターで著者の方にRTされてPVが上がるケースがひとつ。

もうひとつ「高橋維新さんが書いた記事がメディアゴンに掲載される」とこのブログのPVが伸びます。

なので、私個人としては高橋維新さんの記事がアップされることがわかって大変便利なのですが、反面このブログは高橋維新さんの雑なまとめ以外に価値がないという恥ずかしい気持ちにもなります。

 

mediagong.jp

 

以前にも高橋維新さんの記事についていろんなことを書かせていただいていますし、改めて言うこともないんですけど、簡単に感想を述べさせていただきます。

この記事で特に顕著なのは、高橋維新さんが「テレビ番組を作ってる側」の目線でいろいろ上から目線で語っている違和感だと思います。

で、特に面白いことが書いてあるわけでもなく、テレビ好きの高校生でも想像できそうな内容でしかないという印象。

高橋維新さんは毎年このようにM-1に出ている芸人さんに対して、テレビ番組を作っている人間でもないのに「(テレビ番組で)使えるか・使えないか」という目線で記事を書いてらっしゃるんですけど、M-1での漫才を1回観ただけで芸人の将来性云々を語るのは浅薄でしかないのは過去記事からも明らかです。

 

mediagong.jp

 

テレビ番組を作ってる側の人間の目線で書いたらいけない、というわけではないんですけど、あまりにも内容が浅くてつまらない。

「本当にテレビを作ってる側」の人たちが、高橋維新さんより時間をかけて考えてくれることをわざわざつまらない内容で記事にしなくても、と思います。

 

ネタに関する批評、というか感想については個人の主観の問題なので特に言及することはないですが、こんなこと考えてテレビ観ててもつまんないだろうな〜という気はします。

高橋維新さんが多用する「演技力のなさ」については、一度ご自身の「感受性の低さ」と勘違いしてないか確認されることをお勧めして終わりにします。

 

■過去記事

sakut.hatenadiary.com

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